【コラム】葉月(はづき) 朝露に咲く、朝顔の花


8月の別名は葉月(はづき)です。
「葉月(はづき)」は、旧暦の8月、または、現代の暦の9月~10月頃に相当し、秋の気候を感じられる頃です。この時期に葉が落ちることから、「葉落月(はおちづき)」が転じて「葉月」と呼ばれるようになったとされています。
葉月八月の花と言えば、向日葵、朝顔?私は朝顔です。
通信簿とともに家に持ち帰り、栽培日誌の宿題だった朝顔、小学生の夏休みの思い出です。日本の夏を代表する風物詩である朝顔は、昔から日本人に愛されてきた夏の花です。そんな身近な朝顔ですが、奈良時代末期から平安時代初期にかけて薬草として中国から渡来した品種を、千年以上かけて独自に改良してきた「日本アサガオ」と、明治時代以降に西欧から輸入された「西洋アサガオ」があります。
日本にとってなじみ深い「日本アサガオ」は、早朝の3時頃から花を咲かせ始め、日差しが強くなり始める9時頃には萎んでしまうという特徴を持った花です。夏休みに栽培日誌をつけるために、長いあいだ開花を待ちながらも、ほんのひとときしか咲いてくれない朝顔の花言葉が、儚くも美しい「淡い恋」や「短い愛」だということを、大人になって納得しました。
発行の「朝顔三十六花選」(国立国会図書館デジタルコレクション)より.jpg)
江戸時代の三大道楽の一つに園芸があり、その中でも朝顔の園芸は驚きです。遺伝子学も生化学もない時代に、創り出されたのが変化咲き朝顔でした。家計を傾けるほどの熱中さは、専門家ではなく一般庶民による成果だというから驚きです。それまでの朝顔は単純な円形で、色も青と白しかない素朴な花でした。それが赤やピンク、紫などの多色になり、絞り模様なども咲かせる華やかな花になったのです。(図版:「朝顔三十六花選」(国立国会図書館デジタルコレクションより)
18世紀の中頃、現在の岡山県で「松山朝顔」や「黒白江南花」と呼ばれた絞り咲きの朝顔が出現。それが京都や江戸に広まり、江戸時代後期の文化文政時代には多くの変異が見つかるようになり、変化咲き朝顔の第1次栽培ブームが起こり、現代では第4次ブームが到来しているほどです。このように朝顔は、日本で最も発達した園芸植物といわれ、朝顔好きの英国でも、「ジャパニーズ・モーニング・グローリー(Japanese morning glory )」と呼ばれています。

朝顔は、浮世絵や工芸品のモチーフとして、日本を表す草花として知られており、19世紀後半にヨーロッパで流行した日本の美意識の「ジャポニズム(日本趣味)」において、印象派の画家たちやアールヌーボーの芸術家たちの作品に影響を与えています。 特にアールヌーボーは、植物や曲線的な表現が特徴で、朝顔の繊細な花びらや絡みつく蔓の動きは、この様式の美意識とよく合っています。(写真:エミール・ガレ「朝顔文花入」)
この朝顔を日本からヨーロッパに持ち込んだのは、江戸時代末期に長崎 オランダ商館の医師、フィリップ・フランツ・シーボルトでした。前月のコラム、紫陽花(アジサイ)も彼がヨーロッパに持ち帰ったのでした。「シーボルトの努力なくしては日本の植物がこれほど速やかにヨーロッパの庭園を席巻することはなかった」(「シーボルトの21世紀」)というように、彼は、日本の植物の大恩人なのです。
陽ざしがまだ柔らかい早朝に花開く朝顔。爽やかで清涼感のある夏花の代表格ですが、咲いてからわずかの時間でしぼむことから「朝顔の花一時」との慣用句もあります。物事の衰えやすいことのたとえともなっています。しかし、変化咲き朝顔から生まれた赤やピンク、紫など朝顔は、今日の幸せと自由を約束するかのように咲いています。
『 朝顔の 蔓の自由の 始まりし 』 稲畑汀子