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【コラム】九月長月に咲く、日本の菊とヨーロッパのエリカ

 九月、日本では少しずつ暑さが和らぎ、ヨーロッパでは一足早く肌寒い秋の風が吹き始める季節です。この季節の変わり目に、それぞれの土地の風景を美しく染め上げる代表的な花があります。日本では、凛とした気品を漂わせる「菊(キク)」そして、ヨーロッパ(特にイギリスや北欧)の荒野を覆い尽くすように咲き誇る「エリカ(ヒース/ヘザー)」です。

 一見、華やかな大輪と素朴な群生という対照的な姿を持つ二つの花ですが、どちらも厳しい環境や季節の変わり目を生き抜く「理(ことわり)」を持ち、人々の心に寄り添う豊かな「民話」を生み出してきました。 菊(キク科キク属)が秋に咲くのには、緻密な植物学的理由があります。菊は、日が短くなる(=夜が長くなる)ことで開花が促される短日植物(たんじつしょくぶつ)の代表格です。夏の強い日差しを浴びて十分に栄養を蓄えたのち、秋の夜長を感知して一斉に蕾を膨らませます

 また、私たちが「1つの花」だと思っている菊の花頭は、実は小さな花の集合体(頭状花序)です。外側の花びらに見える「舌状花(ぜつじょうか)」と、中央の黄色い芯の部分にある「筒状花(とうじょうか)」が効率よく虫を誘い、確実に受粉する仕組みを持っています。さらに、菊の葉や茎に含まれるテルペノイドという成分には強い抗菌・防虫作用があり、これが寒冷に向かう季節でも病気にならず、長く美しさを保つ「強さ」の理由です。

日本では、旧暦9月9日(現在の10月中旬〜11月上旬頃)の「重陽の節句」を「菊の節句」と呼び、菊酒を飲んで長寿を祈る文化が根付いていました。この背景には、中国から伝わり日本でも能の演目などで広く愛された「菊慈童(きくじどう)」の民話があります。

(右図は横山大観画「菊慈童」、吉野石膏株式会社蔵、Blog「猫アリーナ」より)

菊慈童の話とは、「遥か昔、王の逆鱗に触れて峻険な山奥に流罪となった少年(慈童)がいました。彼は寂しさを紛らわせるため、仏の教え(経文)を周囲に咲く菊の葉に書き写していました。すると、その葉から沢に滴る露から沢水が霊薬へと変わり、それを毎日飲んでいた慈童は、いつまで経っても老いることなく、数百年の時を生きて仙人になったといわれています。」この物語は、冬を前にしてなお青々と力強く咲き誇る菊の生態が、人々にとって「枯れない生命力」の象徴として映ったからこそ生まれた、自然への畏敬の形だと言えます。

 一方ヨーロッパのエリカ(ツツジ科エリカ属)は、イギリスや北欧の「ヒース(Heath)」と呼ばれる、樹木が育たない不毛の荒野(ムーア)に群生する低木です。英語では「ヘザー(Heather)」とも呼ばれます。

エリカが生息する地帯は、寒風が吹き荒れ、栄養分が乏しく、強い酸性を示す過酷な土壌です。この環境を生き抜くため、エリカは葉を針のように細く硬く変化させ、水分が蒸発するのを徹底的に防ぎます。さらに最大の秘密は根にあります。菌根菌(きんこんきん)と呼ばれるカビの仲間と共生しており、通常の植物では吸収できないわずかな養分をこの菌から分けてもらうことで、他の植物が絶滅するような荒地で圧倒的な大群落を形成できるのです。一般的にエリカはピンクや紫色ですが、ごく稀に咲く「白いエリカ」には特別な民話があります。

「5世紀のスコットランド。美しい乙女マルヴィナには、オスカーという勇敢な婚約者がいました。しかし彼は戦死し、メッセンジャーが彼の血に染まった紫のエリカをマルヴィナに届けます。彼女が悲しみの涙を流しながらその花を地面に落とすと、花はたちまち純白に変わり、周囲の荒野を白く染め上げました。彼女は『この白い花を見つけた人には、私のような悲しみではなく、永遠の幸運が訪れますように』と祈ったとされています。」この純愛の物語は、現在でもヨーロッパでは、白いエリカは花嫁のブーケに好まれ、「幸運」「魔除け」のお守りとして大切にされています。

日本の菊とヨーロッパのエリカ。どちらの花も「植物が育ちにくい、あるいは生命が衰退していく秋という季節において、独自の進化によって自らの居場所を確立した」という点において、まったく同じ生命の輝きを放っています。人々がそこに不老長寿の願いや、荒野を生き抜く幸運のシンボルを見出したのは、厳しい冬を前にした人間が、これら植物の「強さ」に深く心を動かされたからに他なりません。現代の私たちこそ、花や植物からより多くのメッセージを受け取って、日々を暮らしていきたいものです。

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